ソビエト連邦は、1917年にウラジーミル・レーニン率いるボリシェヴィキが、二月革命により成立したロシア臨時政府を転覆した十月革命を起源とする。ボリシェヴィキは憲法で保障された世界初の社会主義国家であるロシア社会主義ソビエト共和国を樹立したが、十月革命がもたらした緊張はボリシェヴィキの赤軍と、白軍に代表される反ボリシェヴィキの諸勢力との間で行われるロシア内戦へと発展した。赤軍は1920年までに内戦での勝利を決定的なものとし、十月革命後ロシアからの分離独立を果たしていた諸地域を1921年までに占領して、ボリシェヴィキ派のソビエト政権を樹立した[2][3]。ボリシェヴィキは旧ロシア帝国領の再統合を企図し、1922年12月30日にロシア、ウクライナ、ザカフカース、白ロシア(ベラルーシ)の4つのソビエト共和国から成るソビエト連邦(以下ソ連)を成立させた[2][3]。1924年のレーニンの死後にヨシフ・スターリンが政権を掌握し[4]、共産党内部で反対派を弾圧し、計画経済体制を確立した。その結果、急速な工業化と強制的な集団化の時期を迎え、著しい経済成長を遂げたが、1932年から1933年にかけて人為的な飢饉を引き起こした。また、収容所制度もこの時期に拡大した。スターリンはまた、政治的パラノイアを煽り、軍事指導者、共産党員、一般市民を問わず大量に逮捕し、強制労働場に送られるか死刑を宣告することによって、自分の実際の敵、認識上の敵を党から排除する大粛清を実施した。1939年8月23日、西側諸国との反ファシスト同盟の構築に失敗した後、ソ連はナチス・ドイツと不可侵条約を締結した。第二次世界大戦の開始後、中立国だったソ連は、ポーランド、リトアニア、ラトビア、エストニアの東部地域を含む東欧諸国に侵攻し、領土を併合した。1941年6月、ドイツ軍が侵攻し、史上最大の戦争(独ソ戦)が幕を開けた。スターリングラードなどの激戦で枢軸軍を圧倒する過程で、ソ連の戦死者が連合軍の死傷者の大半を占めた。ソ連軍は最終的にベルリンを占領し、1945年5月9日、ヨーロッパでの第二次世界大戦に勝利した。赤軍が制圧した地域は、東側諸国の衛星国となった。1947年、東西冷戦が勃発し、東側諸国は西側諸国と対峙し、西側諸国は1949年にはNATOに統合されることになる。
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